大朝について
酒蔵のある「大朝地域」は広島県山県郡北広島町にあります。
広島県の北西部に位置し、南は広島市、北は島根県と隣接しています。
町内の標高は約300m~800mで、島根県との県境では1,000m級の山々(西中国山地)が連なります。
標高が高いため冬は積雪が多く、スキー場が集積する日本最南端の地域です。夏は日中暑いのですが朝晩は涼しく、年間を通して寒暖差が大きいため、おいしいお米ができる広島県の米どころとして知られています。
古くから農業が盛んで、初夏は世界無形文化遺産の壬生(みぶ)の花田植(はなだうえ)や、国の重要無形民俗文化財の新庄(しんじょう)はやし田(だ)、秋になると神楽など、田にまつわる伝統行事も北広島町の全域で盛んに行われています。
平成17(2005)年に千代田(ちよだ)町、芸北(げいほく)町、豊平(とよひら)町と合併して、大朝町から大朝地域になりました。(他もすべて町→地域という表記に変わっています)英語のつづりは、「OASA」です。
大朝地域も神楽が盛んです。現在、大朝地域では神楽団が14団あり(2018.10月現在)、毎年9月下旬から10月下旬にかけて、お宮で奉納神楽が行われています。毎年11月の第1土曜日には「大朝神楽競演大会」が行われ、大朝地域中の団員が迫力ある舞いを披露しています。
大朝の歴史
毛利元就の次男である吉川元春公。大朝は、その本家である安芸吉川氏とゆかりの深い地域です。鎌倉時代に大朝の地頭となり、以後関ケ原の合戦までの約300年間、安芸吉川氏は戦国武将としての地位を確立していきました。関ケ原以降は岩国に移りましたが、安芸吉川氏の功績は今の大朝の基盤となるものを築き、繁栄の礎を築いてくれました。
吉川氏の史跡の数々は吉川氏の中世遺跡として文化財にも指定され、はやし田や南条踊りなどの芸能文化も伝えています。さらに新庄学園は吉川氏ゆかりの学校として創立されるなど、まさに大朝と吉川氏は現在に至るまで、切っても切れない存在なのです。
大朝の名所、旧跡
●テングシデ(酒蔵から車で10分)
大朝の田原・灰谷に自生するイヌシデの一種。
幹が曲がりくねり、枝がしなだれるなどの特徴を持った珍しい木。
最近の調査で、このテングシデの特有の形態は突然変異によって生じた変化でありそれが遺伝していることなどがわかった。
このテングシデが大小100本以上群生している。突然変異によりできた木が代々群生しているところは少なく、とても貴重な地域。2000(平成12年)に国の天然記念物に指定された。
●小倉山城(酒蔵から車で10分)
応仁の乱において、勇猛果敢な戦ぶりから「鬼吉川」「俎板吉川」と恐れられた吉川経基(きっかわつねもと)公の居城。石見(いわみ)国(島根県西部)に本拠を置いていた吉川経見(つねはる)が、新庄に移し15世紀前半に本城としたとされ、以後1545年に興経(おきつね)が日山城(ひのやまじょう)に移るまで、一世紀以上にわたり吉川氏の本拠となっていた。
標高460m、比高80mの小倉山の山頂を中心とし、三方に延びる尾根を利用している。中央の「本丸」郭群(くるわぐん)と「二の丸」郭群、「三の丸」郭群は堀切(ほりきり)で区切られており、それぞれ独立した様相を示している。
●圓立寺しだれ桜(酒蔵から車で3分)
浄土真宗本願寺派、圓立寺の本堂前庭一円に枝を大きく張り、雄大な樹冠を形成するしだれ桜。周囲2.7m、樹高9m、樹齢360年。宵になるとライトアップされて美しい。
(見頃3月下旬から4月上旬)